帝国劇場は、日本初の洋式劇場として知られる。 ルネサンス様式の4階建ての建物は、横河電機の創業者で建築家の横河民輔(1864-1945)が設計したものである。 横河はアメリカや欧米で劇場設計を学び、ヨーロッパの有名なオペラハウスを手本にした。 この劇場は、日本の演劇界を盛り上げようという気運が高まったことがきっかけで建設された。 明治時代の有力者たちは、近代劇場の重要性を認識し、西洋の建築様式を取り入れようとしたのである。 東京に新しい劇場を建設する計画は、1906年に伊藤博文元首相と実業家の渋沢栄一によって初めて持ち上がった。 やがて渋沢は、新しい劇場の開設を切望する当時の有力者たちに声をかけていった。 そして、1907年(明治40年)、「帝国劇場」の設立にこぎ着けた。 建築家・設計者の横河は、近代的な劇場で歌舞伎を中心とした日本の伝統芸能を上演する会場の開発を任され、
1911年3月1日、盛大に開場した。 しかし、開場からわずか10数年後の1923年9月1日に発生した関東大震災により、劇場は半焼してしまった。 すぐに1924年に再建されたが、昭和初期から第二次世界大戦にかけての経済不況の中で経営者が交代するなど、その後も何度か劇場は変貌を遂げることになる。
1964年、帝国劇場は建物の老朽化により閉館。 2年半の歳月をかけて再建を終え、1966年9月に新劇場として再オープンし、現在に至っている。 現在の設計は、2004年にニューヨーク近代美術館を設計した谷口吉生氏の父、谷口吉郎氏である。
帝国劇場は開場以来、日本の演劇と劇場運営の近代化に大きな役割を果たしてきた。 例えば、公演の10日前からチケットの販売を開始するという新しいチケットシステムを導入した。 また、劇場内での飲食や喫煙を禁止し、ラウンジやダイニングホールを設置した。 帝国劇場は、オペラやバレエなど、日本の舞台芸術の育成にも力を注いだ。 一時期は自前のオペラ団も持っていた。 また、海外の劇場やオペラ・バレエ団を招聘して公演を行うこともあった。 このように帝国劇場は、当時、東京のどこにもない国際的な文化的雰囲気を提供していたのである

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